『困難な航海』
眼球(眼差し)だけが付けられたビルボケ(質的置換、人体をイメージさせるもの)は嵐で転覆を余儀なくされるかの海上の船を見つめている。
ビルボケの形態、線描は女性を思わせるが微妙に傾き揺れている。
この部屋の設えは穏やかであるが四角に切り取られた平板な板がいくつも壁に立掛けられている、それぞれ縦横の長さは異なるが境界を打ち破り覗くという願望の果てを証している。
嵐(困難な航海)の景をひたすら見つめる人の要素を著しく欠いた人型(ビルボケ)に感情を被せている。肉声は無いのに強烈な哀願を感受させる光景である。
明らかに人の要因を喪失したビルボケ(風袋)の哀愁。手も足も出ない。空を飛び連絡をつなぐ鳥は質的変換で手先だけの風袋で飛ぶべき鳥を抑え込んでいる。この部屋にあるのは連絡不可の絶望があるのみであるが優しい彩(ピンク)は平穏を約束している。
隔絶された世界から覗く杞憂、現世と冥府を結ぶ仮想空間。
困難な航海の渦中にある現世と困難な航海を抜け出た冥府との境界は、強風と無風ほどの差異がある。マグリットの母恋の構図は切なくも個人的な胸裏、胸を離れない子守歌(「向こうからわたしが見えますか」という切望)かもしれない。
写真は『Rene Magritte』カタログより