砂肝にかすかな砂を溜めながら鳥渡りゆくゆうぐれの空
砂肝にかすかな砂を溜めながら・・・!!誰もその様子を見ることは出来ないし、生きた鳥の砂肝の様子など観察できない。でも、微妙に空腹を予感できる。
かすかな砂、であって、かすかに砂を、ではない。かすかに砂、だと微量という質を感じるけど、かすかな砂、では視覚を問われる。つまり不明な雰囲気であり感覚の領域である。
砂肝にかすかな砂を溜めながら・・・物理的現実の目撃談ではなく、精神的な空想の領域である。このいわく言い難い軽さ、非現実的な描写の妙、読み手は惑いながら肯定してしまう、かすかな砂を溜めているのだと。
そんなそこはかとなく哀しい鳥よ、もうすでに夕暮れであれば鳥目の君は餌を捜すことも出来ないだろう。どこへ帰るのか、暖かい巣はあるのだろうか。
無用の杞憂に暮れてゆく日没、あの鳥はわが友、否、わたしの魂かもしれない。