
『終わりなき認識』
室内から見た光景…心象風景である。
視点は山の頂に在るが、宙に浮く球体のその上の人物にも焦点が当てられている。つまり認識においては視点や角度は自由であり空間の把握は、重力(物理界)に左右されない広がりがあるということである。
未踏の山の頂にも対面可能であり、球体に立つ人物さえも近しく空間を共有している。有り得ないことも認識作用においては仮定することができる。
認識は、現実(見える光景を)を把握する作用であるが、非現実(見えない光景/空想)をも想起可能である。
ただあくまで個人的なエリア(精神の窓)から発し、個人的な感覚に収まるものなので、他人、あるいは世界との共有は限界がある。
しかし、洗脳という他人の思考を根本的に改造するという現象も認識であるから、認識の限界に線を引くことは常識ではあり得るが非常識の枠内では通用してしまう。
『認識』は正否における境界線を持たず終結という概念は無い、ということに気づかされるものである。(そうだったのか・・・)、認識に終わりはない。
写真は『マグリット』展・図録より