『永遠の明証』

 裸婦の全体像を5つに切り分け、それぞれをフレームに収め、人体と分かる位置に縦列させている。どう見ても裸婦である、間違いはないが、裸婦像とはいいがたい。

 裸婦像を各部位ごとに描き、連鎖させれば明らかに裸婦像の認識は成立する。しかし裸婦像とは言い難い。
《裸婦像であって裸婦像ではないが、裸婦像と認識せざるを得ない》

 これをどう解釈したらいいのか、例えば、この裸婦像には両手が描かれていない。しかし(手が無い)とは誰も疑わない。両手は鑑賞者の頭の中で漠然と存在し、描かれてはいないが、在るのだという意識が無意識に働く。
 固定観念は崩しようがなく脳裏に深く刻まれ、たとえそれが条理に反している場合でも、条理に結び付けるという不条理が強くという心理作用を証明している。
《観念には永遠の持続性があることの明証》ではないか。

 写真は『マグリット』展・図録より