
原点である。
ローズ・セラヴィという自分の中のわたし、性が異なるかもしれない。異なるが、わたしである。わたしはすでにローズ・セラヴィでもある。
理解しがたいかもしれないが、端的に言えば、「わたしはローズ・セラヴィである」
わたしの中のローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない? なぜ姿を現さない?
ローズ・セラヴィはわたしの中で固く結びついている。わたしがローズ・セラヴィであると言ってもいい。
この矛盾、この不思議をどう証明したらいいのか・・・。
秘かに抱えている性への疑問、人間は如何にして人間たり得るのか。
見えている形態の決定、揺らぐ内部の精神、複雑さの猛威。並べて型に収めるデータ化の納得。
承服しかねる男女の判別、結婚、婚姻の原初。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
キャサリン・ドライヤーはデュシャンがキャサリン・ドライヤーの妹にどのような感情を持っているのかを確認したかったのではないか。何もかも取り払って無心・自由な気持ちでの告白(返答)がこの作品だったのではないかと思う。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより