
『埃の栽培』
埃の栽培、埃は空中の塵芥が重力により地上に落下し留まっているものであり、人力によるものではなく、自然の摂理に従った結果の集合物に過ぎない。
要するに栽培という人の意志の欠如したものである。降り積もった埃を見て、美を認める者はいないが、過去の時間というものに思いを馳せるかもしれない。
確かに降り積もる埃には時間の集積がある、ただそれは計ることを拒むものであり困難な作業を伴う。風で舞い上がることもあり、空中の微塵は目に見えないからである。
偶然であって必然ではない現象であり、偶然ではあるが必然的な結果をもたらすものでもある。そして『埃の栽培』は人為を必要とせず、待つという未来の時間を想定するものである。経験上、人はそれを知っているが待つという奇特な人をわたしは知らない。
『埃の栽培』は《無為》の証明である。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより