
裸体と王と女王、この三体を画面に捜すと、それとなく三つに分類できるものを当てはめることができるような気がする。あくまでも、そう見ようとする譲歩である。
タイトルと画面は通常であれば、同意であり、関連を意識させ、納得を促すものである。しかし、ここには大きな溝、亀裂、無があり、鑑賞者を本来の意味に導こうとする意図が隠されている。
本来の意味とは、意味はないという決定であり、意味を捜そうとする観念の打破である。まず、意味を見出そうとする識者の眼差しを笑っている。細部に至るまでの綿密な描写は、よく見るとバラバラに解体すべく明確なつながりを見いだせない。関連付け連鎖しているように見せかけてあるだけであるが、連鎖は必須と思う先入観が恰も合体しているもののように受け入れてしまうのではないか。
観念の解体、通念への冷静な眼差しである。王も女王も裸で生まれ裸で死んでいく急速(短い時間/瞬間)だと、傍観している。みんな同じであり、皆バラバラという程に違ってもいる…矛盾は自然であり、しかも同列であるというデュシャンの激しくも切実な詩が潜んでいる。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより