
『自分の方へ向かう犬』
耳を立てた犬は口から上だけを出している、つまり泳いでいる。とすれば、角柱は水である。
しかし、水であるはずの面に球体を切ったような溝がある。何かの作用が働いているに違いないが、犬と自分の間に介在する不明な障害である。
自分の方へ向かう犬は、他者である。自分に向かってくるのは好意か敵対なのか、愛情か攻撃か、あるいは偶然か・・・。自分という存在は、犬を待っているのだ迂してしまう危険はろうか、恐怖を感じて逃げようとしているのか。犬の手前にいるらしいが、その挙動は不明である。感じているが、見えていない存在は憶測の限りではない。
「自分の方へ向かう犬」は全くの具象であるのに、内実は抽象的でその距離すらも測りかねるのである。しかもその間にある円形の溝に至っては何によって引き起こされた現象なのかも分からない。犬がその渦の中に巻き込まれる危険は回避できるのだろうか。
自分という存在もまた、水の中なのだろうか。地表に立っているという確証はない。空気ではなく、水という抵抗の大きさに耐えうる状況だろうか。
仮に溺れている自分を救助するために向かう犬という場合もなくはない。
自分と犬の関係、主従の転換、水と空気の圧の差異、多くの問題を孕んだシンプルな作品、この作品の前では時間とともに動けなくなる自分がいる。
写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館