『白紙委任状』

〈どう解釈されることも自由です〉と、言う。
 鑑賞者はこの作品に描かれた対象を正しく(?)つなげようと試みる。しかし、空間は切れ切れで決して頭の中にある形態(観念)にならないことを知る。
 自然ではないことを悟る、作為、企ては何を意味しているのだろう。

 見えない空間(隠された領域)は自由に想定できるが、見えている時空は動かしがたいと信じている。自由と不自由が隣り合わせに並ぶと、自由を不自由に合わせようという心理が働く。
 集積されたデータは正しいという確信、一つの信念である。しかし、そこに不可視を置換し並置してみると、確信は簡単に揺らいでしまう。

 錯誤、実体を確信する眼差し(観念)は許しがたい暴挙である。観念の崩壊はあってはならない。《虚》は悪魔的に見る者を動揺させる。自動にせよ他動にせよ実利的な教育の基では見えないものは、あくまで物理的解明に頼るしかないのである。
 ゆえに不条理な光景(交錯する時空)は虚偽になり、不安を醸し出す。正解でないことへの脅威である。無視という心の整理で決着させるかもしれない。
 なるほど愉快である、という解釈には至らないのが普通である。

 しかし、精神の自由とは、観念の肯定と観念の否定の狭間にあるという答えを見出せば精神は解放されるはずであり、その眼差しを共有することで世界は開かれるはずである、というマグリットの見解がこの『白紙委任状』である。


 写真は『マグリット』展・図録より