この巨岩石の成り立ちを考えられない。違和感ある巨岩石を見る場合、たいていは噴火によって吹き飛ばされたものである。当然落下するのであって、これ以上の高い山はないという秘境にも等しい天辺の稜線に乗ることなど考えられない。
 もちろん決して考えられない場所の設定である。在り得ない状況への畏れ、戦慄の光景は自然を越えており、超自然は人間界の思惑を否定する。

 存在はすべて《肯定』である。即ちこの光景は否定であり、非存在に他ならない。人間を超えるものとして《神》という位置づけがあるが、神の領域である。
 神秘的でなく、神秘の畏怖すべき恐怖の光景である。この光景を認めることは世界の条理への反撃であり、人間がこの領域に近づき、検証することなど不可能に違いない。
《もしも》の提言は、見る者の自信を全て打ち砕く。抗うべき術が見つからないからである。

 この画の状況を脳裏に描く者(鑑賞者)は、これら条件のもつ恐怖を想像できる。つまり、質的条件を知覚し得るからであり、それらデータを学習しているからである。知っているという情報の集積、人間の叡智が恐怖心をあおるのである。
『ガラスの鍵』とは《神の領域》に対する《人間の叡智》の限界ではないか。ガラスに例えるしかない人間の無力である。


 写真は『マグリット』展・図録より