生の足先に革靴がつながっている。足が靴であり、靴が足である。身を護る術がない、身体が即ち生きる術の総てであり、無産階級を示している。一つの汚れもないのは潔白、従順を暗示しているのだろうか。美しい足にも労働を、という平等の画一化の指令かも知れない。

『赤いモデル』、赤は共産主義以外の何を連想できるのか。共産主義における見本、仮説の論である。石壁は他の社会との閉鎖、隔絶であり、社会体制の確立は他から何ら指図、影響を受けるものでないという強固な姿勢かも知れない。

 マグリットは、この図を否定も肯定もしていない。時代の中の一つの現象としているのだろうか。
 足と靴の一体化、新しい靴は与えられている。しかし、身体の上部が欠けている。肝心の精神や脳の機能が見えない。足と靴の一体化、これは道具にすぎない。
 人は足を有した労働力であり、国はその有無不言の統制力で繁栄し、人々に供給をもたらすということだろうか。幸福の形は難しい…。


 写真は『マグリット』展・図録より