男の頭部と鳥の頭部が木箱の上に乗っている、奇術まがいの絵である。蓋は開くのか、開いた場合の予測は…どちらの頭部も物体として転倒するに違いない。つまり、蓋を開けた途端、男の頭部も鳥の頭部も《生と見えるもの》から《疑似物体》へと転化してしまう。生の欺瞞である。

 眼を見開いていることで《生》を確信する脳の作用は経験値の総合作用であり、情報の集積の誤作動である。二次元における絵画の特性(時空)だからこそ許される錯覚である。
 かつて床に置かれた三島由紀夫の頭部を朝日グラフ誌で見たことがあるが、これは明らかに《死》以外の何物でもなかった。

 にもかかわらず、人為的な絵(二次空間)では、そういうこともあるかの錯覚を平然と受け入れてしまう。この絵を見て「噓ばっかり」と笑うの子供だけかも知れない。少し知恵のついた輩は肯定しつつ探り、大いなる肯定で共感すらしてしまうという具合である。
 この微妙な知恵の総決算は磨かれた宝石である。価値があると思えば価値があり、無いと思えばただの石であるという人類の眼差しである。


 写真は『マグリット』展・図録より