『会話術』

 白鳥が二羽、月は二十六日あたりの月である。ということは、真昼であるはずなのになぜか、黒い樹形がAmourの文字の文字に被っており、夜景の態である。右端の建物の白い壁は微妙な雰囲気を醸し出している。

 白鳥のいる景とAmourで区切られた夜の景、そして昼の月。異相の景の重なりである。
 Amour(愛)という文字の境界は何を意味しているのだろう。愛は精神であり、物理的光景には関与しない、にもかかわらず・・・。
 景色(自然)と精神をつなぐ、文字という会話の介入には意味はなく、意味を求めようとして徒労に終わらざるを得ない光景。会話は成立していない。そこにAmourの文字を想起させる形を置いた景色は条理を著しく外している。

 Amourの意味を知らないものにとっては単なる線状にすぎない時空の境界線は、愛の意味にまで到底たどり着くこともない。
 会話術と題したこの画は、会話術の意味を壊し、無効にしている。意味を知るものにとっても無意味なのである。

『会話術』における言葉(文字)の薄さ、不条理、時空の異なるエリアで通用することのない言葉(文字)よりも、寄り添い向かい合う二羽の白鳥にみる仲睦まじい光景にこそAmour(愛)が垣間見えるのではないか、という反問である。


 写真は『マグリット』展・図録より