
記憶は主観であるが、ママ世界の記憶というように歴史的史実を言及することもある。この画の場合、記憶の主体はこの石膏頭部にあるのだろうか。もちろん石膏(無機物)が、精神の領域を所有することはあり得ず、イメージである。記憶が肉感を伴わず、空想に置換されているのは、主観と客観の間に位置しているからで、個人的な記憶というより、普遍的な記憶という感じがする。
つまり既に現世を離れた人の記憶であり、石膏で模られた空想の女人の悲哀である。偶像は母かもしれない。亡母の今(死後)を正確に描く事への執念…こうであったに違いないという妄想であるが、彼女の側から記憶としての告発でもある。
鮮血は受けた傷の深さであり、その因は背後の馬の鈴(口伝・噂)にあり、暗く重い曇天の空の下、海上を板状の上に乗り彷徨している母の記憶である。
一本の薔薇だけが救いであり、現世とのつながりを約束する愛の化身である。マグリットの秘密の鍵でもある。
マグリットの母への想い、媒体は『記憶』であり、ひとり胸の中に留まるものである。
写真は『マグリット展』図録より