
あるがまま、この時空を絶対とみ見ることなく、その奥にある真実を探求する。換言すると《無》あるいは《虚》に向かっているようにも見える。存在の裏側、存在を支えるものは見えない幻だからである。
今見えているものには肯定がある、肯定せざるを得ない。なぜならば、当人を含む時空だから否定すれば該当する人物さえ霧消し総てが空に帰してしまうからである。
にもかかわらず『絶対の探求』には、わたし達が絶対に感じ得ない光景が描かれている。すべてが見たことのない根拠に欠ける虚偽の風景である。
無ではない。物理的根拠を無視し、概念を暴力的に打ちのめす光景である。
《絶対に有り得ない》光景を捏造している。死とか冥界というのでもなく、生を偽造している光景である。
生と死の亀裂を垣間見るような異次元への逃避。絶対はこの否定しかない架空の隙間からしか垣間見えないものなのだろうか。探求とは近視眼的であるばかりでなく、対象から離れた位置からの調査を含むことであれば距離は確かに隔絶され、否定は受け入れられるべき条件である。
写真は『マグリット』展・図録より