心のまなざしは、自身の大きさに比してとんでもなく膨らみ異様な高さに達する。なぜなら自由だからで、精神の暴走は誰にも止められない。
 この建屋を心のまなざしと比喩するならば、不変の真実(白い球体)はずっと背後に控えており、自身の眼差しの視野にはない。

 心のまなざしは不変の真理に逆らうというものでなく、その存在に気づくことがない。真理はそれに向き合うという覚悟を抜きにしては見えることはなく、ただ、普遍の真理は動ぜず絶対に存在を明らかにしない。

 心のまなざしの向かうところは《ここであり、そこであり、ずっと遥か向こう》である。眼差しを暗示する建屋の窓は複眼であるが必ずしも窓は開いているとは限らない。眼差しの開閉は自身の心にあり、見ることと注視することには差異がある。感度の高さは図り得ず、受信の感知もまた外部から推しはかれるものではない。

 強制的に矯正され、心のまなざしを画一化される恐怖。いわゆる洗脳における眼差しという例もある。心のまなざしは、遮蔽・混濁・妄想etcあらゆる視点を抱え、物理的視野との競合に順応している。
 心のまなざしの正体を捉えことは難しいが、見えているものが総てではなく、常に過去の情報の集積の上に物(対象・世界)を見ていることは明らかである。

 ゆえに倒壊を余儀なくされそうな建屋は、心のまなざしの構築に等しいかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より