
『心のまなざし』
物理的視界ではなく精神的視界。
物(対象/世界)を見ることの不確実性、見ているが、見ていないことの同時性。見ることは、ある意味情報の整理であり、過去に見てきたことの観念の積み重ねである。
山を見れば、木々の春夏秋冬、葉や樹木の質感、風や土の匂いなどを総合的に関知するが、事細かにその説明なくして単に山の景色を見る、見ていると思いこんでいる。
《まなざし》は、物理的に物を投影させえる器官であるが、そのまなざしを作用させているのは脳であり、心である。
《心のまなざし》の在り様の説明は難しい。しかし、常に多くを孕み、それらは膨張し不安定この上ないほどに揺らぐ。ああではないか、こうではないかという妄想が崩壊を余儀なくされるまで続くのである。ただし、その葛藤は瞬時の火花であって《無》にも等しいことの方が圧倒的に多いので自覚に至るまでには霧消してしまう。
近視眼的に物(対象/世界)を見る、そのずっと向こうに《真理》が控えている。
見ることのずっと向こうに潜んでいる真理は心のまなざしに隠されている。内包していると換言してもいいかもしれない。
《心のまなざし》は常に真理の手前で早急に対象を把握する。危険なほどの構築、危うい錯覚(錯視)によることを、たいていの場合、気づいていないが、それが《心のまなざし》である。
写真は『マグリット』展・図録より