
『透視』
透視、感覚では不可知なものを超能力によって認知することであるという。
卵を見て成鳥を描く、これをもって『透視』としている。卵が雛として孵り、成長になる、という時間空間が欠落している。
時空を飛び越える、しかしこれはすでに経験上認知している事実に基づくものでもある。この情報は既知の事実であると確信している、結果このように描いたのだという『透視』。
透視は非現実的である。しかし、現実的な情報の認知がなければ透視はあり得ない。《こうなるであろう》という予測、想像は経験値からくる。
見えないものを見ることは不可能である。
見たことのあるものの時間的経過を予知することは可能である。
『透視』に能力を超える現実はなく、情報の集積により想像する範囲を超える透視はない。
『透視』が現実に存在するとすれば、賭け事の面白みも研究の余地も失われてしまう。見ることはあくまで過去・現在・未来のサイクルの中での仮定にすぎない。
この画(静止画)が次の瞬間を持つと仮定するならば、卵は卓から落下することは必至であり、画布(キャンバス)もまた画家の方へ倒れ込むはずである。(これを透視というか?)マグリットの皮肉である。
写真は『マグリット』展・図録より