永遠の明証、つまり不変の論理である。
 しかし、この作品は観念を打破するような組み立てである。普通は絶対にこうはしない、という鑑賞者の否定を孕む仕掛けがある。

 直立した人体(女体・裸婦)は、五つに分解されフレームに納まっているが、人体の形に添ってそのように置かれている。人体以外の何物にも見えず、人体として直感し、切り離された部分を元の人体としてつなぎ合わせて見るのはごく自然である。決してバラバラに認識しないし、また出来ないのである。

 人体が固定観念化されている、それ以外ないのである。
 見るという行為において各人の情報量に差異はあっても、動かぬ論理は潜在意識の中で固定化される。頭部の上に足はないし足の下に胸はないのである。
《絶対に》という普遍的なデータは、人の意識を縛るが、安定した答えを導く手立てでもある。わたし達はデータの集積に異論を唱えることはしない。

 見るという行為、認識は目で見るというより心理的な反映が多く支配している。心理は反復された観念によりあらゆる不条理を修復する傾向を持つ。
「本当に見ているのか」「本当に見えるのか」という疑問は、観念というデータに集積より簡単に打ち消されてしまう。
『永遠の明証』とは『観念の証明』である。


 写真は『マグリット』展・図録より