野の鍵、つまり自然(見える対象)と主体との間には、見えない扉があるということである。
 見ること、認識は必ずしも対象物と一致しない。そこには微妙にズレがある。
 特に光るものの残像はよく知られ経験することである。物理的にも精神的にも気づかぬうちの現象は《無》の範疇に押しやられてしまう。

 見るものと見たものとの間には時間が存在し、その空白は連鎖というトリックに溶解してしまう。《在ったような気がする、在ったに違いない》というごく微細な時間である。
 破壊された窓ガラスの破片に見えていた景色(野)が、そのままに転写されているのはある種の自然であるが、物理界では否定されるべき事項である。物理界には証拠があり立証という術がそれを教える。

 物理界で笑止とされる精神界の事情を、黙って差し出しているのが『野の鍵』である。


 写真は『マグリット』展・図録より