見えているもの、まことしやかに隠されているものの真偽を問う。
 すでに描かれたものには作意が隠されているが、その問題提議に鑑賞者は足を止めざるを得ない。
 見るとは何か、見えているものとの距離は現実か非現実か。絵画作品は現実ではないが訴えがある。その内実に迫ることを要求している。

 作品の景色はキャンバスに描かれた景色により連続を可能にしている。キャンバスの縁や三脚さえなければ普通の光景である。
 違っているのは、この部分だけであるから、それを無視すれば問題は生じない。
 この隠された部分の真偽を鑑賞者は問わずにいられないが、ある意味、自由な空想を可能にする空間である。このままでも通用するが、本来の意味を隠蔽しているのではないかという疑問は残る。
 キャンバスで隠された景色は、隠したという事実によって意味を増幅させ、鑑賞者の想像に委ねられる空間へと移行していくのである。

 全く同じだったかもしれない景色の断片は、隠したという仕組身により、より空間を広げてしまう。隠すことの意味、隠されたものはその部分を基点に世界を反転させる可能性さえ秘めている。


 写真は『マグリット』展・図録より