男(The Man)と言った時点で、父親らしき人の距離を置いている。客観的に観察するという風である。あの人はこんな風であったという回想を孕んでいる。

 四分の一の画面、その中で一番希薄な印象を与える左上、どう見ても浮いており、存在感に欠ける。
 家のなかでの定位置はある。しかし、室内は依然として変わらぬ設えであるのに男だけが不在である。息子デュシャンの目から見た父の肖像への鬱屈した感情、肯定せざるを得ない家庭環境への寂寥感がそこはかとなく感じられる画である。満たされぬ思いと言い換えてもいいかもしれない。画面いっぱい父の顔を描くという強い衝動には至らず、ごくありのままの関係を提示したのだと思う。
 もちろん父への敬意は言うまでもない、しかし、何というそっけない関係であったか。父は息子を視ず、社会(仕事)への熱意ばかり・・・。否定的な拒否は微塵もないがこの状況を受け入れざるをえなかった息子としての冷徹な眼差しがある。


 写真は『マグリット』展・図録より