『オーステルリッツの喧嘩』と題している。しかし、その作品は、ミニチュアの窓があるばかりである。

 オーステルリッツの喧嘩は題名がなければ想起できない。題名があっても結び付けることは困難である。
 無関係・・・しかし、任意にまったく意味なく『オーステルリッツの喧嘩』と名付けたのではない。

《無意味》をこそ強調したかったのではないか、すべては無に帰していくのだと。題名と作品(窓)を並置することで、人は考える。(オーステルリッツ)には喚起される歴史上の大戦が被る。しかし、長い年月の間には表記された文字だけが記録として、否、それすらも風化していくかもしれない。

 認識には古いデータを消去する仕組みがある。何千年か後、更にずっと先の未来ではオーステルリッツという固有名詞だけが浮上することもあるかもしれず、又は『オーステルリッツの大戦』が『オーステルリッツの喧嘩』と誤伝される日があるかもしれない。
 誤伝されるまでもなく、あれは(喧嘩/愚行)だったのだと・・・デュシャンは呟く。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより