細長いが、ドアではなく窓である。なぜ窓だったのだろう。
ドア(入口)ではなく窓ということは、不法侵入である。礼儀の欠落…まぁ、喧嘩だから・・・。頑丈な造りの窓、けれど(ここからは絶対に侵入できない)という確信はもろくも簡単に崩れてしまう。
 一見頑丈な造り、しかし、レンガは薄手のレンガ模様ではないか。脆弱な安価な造りは居住には難がないが防備には難がある、そういう造りでしかない。

 人が平和に暮らすのに過不足はなく、これで十分である。
『オーステルリッツの喧嘩』、この虚弱な窓に侵入した所で何の利があるだろう。
 平和への毀損・・・ただそれきりである。

 小さな窓には庶民のささやかな平和と安らぎがある。ここに侵入できるか?これを壊せるか?窓の内部の人間らしい暮らしこそが、人の誇りたりうるものであるとデュシャンは言う。
「せめて喧嘩くらいなら」デュシャンの反戦の弁である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより