ボトル・ラックである。使途は明確であり、その範疇で製造・選択されるべき製品である。
 しかし、その概念を外してこれを見ると、中心から放射状に延びた手、ゆるぎなく安定した台座の形は美しく、塔のようにさえ見える。和的に考えると五重塔(地・水・火・風・空)である。

 しかし、これはあくまでも『ボトル・ラック』であり、それ以外の何物でもない。
 否定しても肯定せざるを得ない命名がある。

『ボトル・ラック』への逡巡は個人的感想に過ぎないかもしれない。

 客観的事実から主観的観察、そして客観的事実の重さ、それを否定する主観的感動・・・客観と主観には距離がある。背中合わせという単純さはなく、対象における観察には大いなる時空が存在するということである。視覚における感知には誤作動が生じる。そこで修正という作用が働くが、強い認識(主観)は概念(客観)を揺さぶり、正しい判断を妨げてしまう。

 正しい判断とは何かという混迷はデータの集積による客観的事実に押し任されてしまう。故に『ボトル・ラック』はボトル・ラックであり続ける。
 主観は客観に隠れ、客観は主観を内包している。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより