
鑑賞者は床に置かれたコート掛けをどかし、あるべき位置を想起する。《ここではない》と。
この作品には《否定》(多少の憤懣)しかない。絶対に違う、という確信めく否定であり、許容の肯定はない。
しかし、これを提示したデュシャンの意図について考慮を迫られる。通り過ぎてはならない(あるいはどうでもいいが)「考えよ!」という指令である。
偶然在るのではなく、必然を以て置いた真意・・・。
床にコート掛けがある、ストレスである。
何故か? あるべき位置にないからである。
あるべき位置とは? コートを吊り下げるのに相応な高さを計算した壁面への設置である。
そう考える根拠は? 常識というより他はなく、当たり前のことである。
当たり前とは? 自然の理!重力を思えばコート掛けは床に設置するために造られたのではなく、上から下に向けられている空間に働く力(作用)を考え、利便性ゆえに相応な高さを計算した壁面への設置が望ましいというわけである。
この当たり前への問いかけ、必然とは自然の理であり、データの集積により学習された概念である。
『罠』はデュシャンの原理を問う罠である。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.com