
『自転車の車輪』
愉快・空漠、機能の有無・・・ぐるぐる回る線状の景色、デュシャンの精神に酷似する対象は同化し霧消していく。それほどに究極の答えを内在する『自転車の車輪』である。
本来機能すべき自転車の車輪の片方を丸椅子の上に掲げるという暴挙。
意味、有効さの欠如、悲しい風景と化した自転車の車輪は滑稽でもある。この存在の無意味、意味の剥奪は存在しているが非存在的な存在であり、存在しているが、不要であり求められる対象ですらない。
この無様、この哀しさにひどく愛着を感じるのは、自分(デュシャン)に思い当たる慟哭にも似た深い悲しみがあるからではないか。決して悟られてはならない秘密の深淵、誰もが持つ得体の知れない不安でもある。
なぜ自転車の車輪を白い(純白)丸椅子(台座)に掲げたのか。これは言わば儀式である。
一つの神事、祭りであり祀りである。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com