個々の物、それぞれの部分を見ると具体性がある。しかしそれをつなげて追っていくと殆ど意味は霧消してしまう。作動のプロセスにしては目的物が見えてこない構造であり不思議に重力を感じさせない空間は立体を描いて奥行きを感じさせないという奇妙さを平然と保っている。

 この作品は、上下左右を変えて見ても同じ感慨を抱くように設計されている。つまり捉えようのないこの時空は、動いていると見せかけて止まっているという不思議なムードを醸し出している。

『花嫁』は不特定多数への美称であり、仮装でもそれを認めることの出来る一種の幻想である。現実でありながら非現実の夢想を内包する言葉の不確実性、確定の持続はあり得ないが、祝福と共にのる冠である。
 しかし、この画に歓喜や感動はなく、ひたすら機械的である。
 なぜか。

『花嫁』、存在するが非存在の仮称であり、有るが無く、無いが有るものへの提示である。


 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com