
9つの鋳型と思われるものは鉛線がそれとなく通っている。あたかも関連(あるいは拘束)があるような線描である。しかしその線の先に何があるというのでもなく引きっぱなしの感がある。つまり内実は解放されている(あるいは意味がない)。
これら9つの異様とも思える形、少なくとも《雄》を条件づけるものは無く、しいて言えば、ズボン型に見えるものが雄(人類)と認定できるかもしれない。そのことで全体を雄のムードに誘引しているが、一般に有効とされる器物に思い至らないのである。
鋳型であれば中身を問われるところであるが、それがない。不明なものに対して『9つの雄の鋳型』であると明言している。
明らかに《雄》という分類はあり、生命連鎖(歴史)には欠くことの出来ない条件である。しかし、その分類における条件は遮蔽・隠蔽されている。外観からそれを決定づけることの不明・曖昧さは、自覚が破棄し育てる向きもあるのではないか。
雌雄の差は明らかであり、その営みにおいては社会生活の中で明確な役割を担う。
しかし、と敢えてデュシャンは言う。奇妙にも複雑な内実を抱え、社会通念に拘束される《雄》という宿命。最期の日まで《雄》という鋳型を被ったまま死を以て清算される《雄》の形もあるのだと。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com