接近する金属/金属事態に動く意思はなく、金属(固体)の中に水車(水/液体の流れを要するもの)が有ろうはずもない光景。想像しただけでも空中分解するしかない言葉の不条理は、想像上(空想)では物理の条理を軽く肯定してしまう。

 常識(経験上積み重ねられたデータの集積)は疑う余地がないように見える。
 あり得ない光景は存在しない、存在するから光景なのである。
 ならば有り得ない光景を創作提示する、言葉と物の関係は《在り得ない光景》を展開する。否定されるべきものとして・・・しかし、鑑賞者は首を傾げつつも肯定の要素を見出すことに努め、遂には意味不明なまま謎として放置してしまう。

 ここに在るのは《否定》そのものであり、拒否を前提としている。見る価値の無いものとして…どこを探っても見出される条理は欠片もない。
 負の産物、正の作品はあふれている。存在そのものが正の領域にあるからである。その領域への反感・・・デュシャンの放った矢は虚空に的がある。

 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com