
断定はない、断定する必要がないからである。
鳥かご(世界)は上部が開いている、解放されている。自由であるが、ここ地球という重力下では飛翔は難しく、地上の人であるのみである。
角砂糖型の大理石は純白であり画一的である、つまり擬人化されたそれは、等しく同じ(平等)な存在である。イカの甲(死)は等しくすべてを被っているが体温計(測る温もり)があるうちは生命が保証されている。
小さな鳥かごの中、換言すれば地球全体が鳥かごなのだ。
一人は世界であり、世界は一人である。世界の中心はこの鳥かごにあるとさえ言える。
哀しいか?いいえ、愉快であるが、並べてイカの甲(死にゆく)存在である。この前提は崩し難い。生きて在ることの混沌、これがわたし達の世界である。
大義は狭義、教義は大義に通じる。
《わたし達はすべからく等しい人間である》これが絶対条件である。
しかし、あえて言うならば、隔てられた意識を有する少数派の人間かも知れない。
わたし(デュシャン)の中のローズ・セラヴィよ、何故くしゃみ(生きて在る表明)をしない?
ずっと、問い続けている・・・。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com