
いかにも機能しそうな『花嫁』の一部、もっともらしい連結。しかし力の方向は意味を成していない。花嫁が単に一時的な美称であるのと同じであり、空虚である。
その横の三枚の視覚の紙切れのようなものは雲形をした面に納まっているが現象の刹那を固定化しているにすぎず、上部のガラスの領域にあるのは重力による重力の否定ともいうべき《空》の浮遊である。
下部のガラス面には『9つの雄の鋳型』『チョコレート粉砕機』『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』などの不明、あるいは不条理に満ちた機能性、生産性のない不条理の結集である。
無とは何か。有(存在)を以て混沌・破壊の現象を提示し、深層心理の奥底まで引きずり込む。証明は遠く、過去あるいは遠い未来への眺望にある。
もちろんその意図(企画)は決して公表されない。鑑賞者は作品の冒険者でなくてはならないからである。
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』は(大ガラス)ゆえに鑑賞者自身を映す。自身も周囲の景色もその中に映りこむ、この不条理に溶解し、一体となる構想だからである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より