小さいもの…世界全体を極小の一点に絞り込む装置への構想である。
「存在とは何か」無いが有り、有るが無い。虚無を受容するのは精神であり、肉体における存在には連鎖という継続がある。

 物理的な時空に人間が関わることで認識という解釈がうまれた。
 認識の根源は本能であり、生きる、あるいは生きねばならないことへの執着である。あらゆる生物は学習などという経由なしに生殖という営みを果たすが、そこに義務や権利などは介在しない。

 この作品に垣間見られる(覗き見られる)シーンは、草原に仰向けになっている裸婦の股間(まさに生殖器)である。見ようとする者の眼に女の陰部が直線的に結びつく構想は思考や情感を超越している。
 このシーンに関して言えば、始まりというより性行為後の姿態であり、男の存在は見えないが有ると断言できる。犯された後の悲しみか、燃え尽きた後の恍惚かは顔(表情)が隠れているので判らない。

 明らかなことは、女の陰部が生命連鎖の鍵であり、この扉の穴を覗く者全てが、ここから生まれ出たという事実である。
 自然の風景、川の水、女の持つアウアー燈(光)、そして裸婦の陰部。存在の物理的根拠である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より