はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。(旧約聖書・創世記・第一章より)

『与えられたとせよ(1)落ちる水(2)照明用ガス』は、「与えられたとせよ」と強引にここから始めている。三態の現象を持つ水と見えること生きることの根源である熱エネルギー(光)は、創造されたのではなく《与えられていた》という始まりである。


 この原始、地上に人類が出現したことの必須の条件を掘り下げ究明している。時間は遡れないが、仮想することは可能である。しかし、リアリティに欠ける。
 デュシャンがとった【覗き見る】という距離感は、正しく直線的であるが抽象的な策である。覗くという視界の狭さによって時空の景色は削除され、ピンポイントで目標に辿りつくという仕掛けである。(視覚における究極のねらい目)

 照明用ガスを掲げた裸婦、草原に仰向けに横になり大股開き、股間は〈凝視せよ〉とばかりの開放。
『元始、女は太陽であった』(平塚らいてう)
 DNAは女性からしか辿れず、生命の起源はアフリカのお母さんとされている。
 女、女の性器から生まれ出た生命。これより他の目に見える証明を知らない。

 時空の驚異的な凝縮、生命の根源への眺望。
『存在とは何か』始まりへのタイムスリップ…厳粛な覗き穴に敬意を表したい。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より