これは単なる現場証明の写真ではないが、人為の介入しない風(空気の動き)の媒介する景色である。
 ここに意志というものは無く、生活機能の術は皆無である。
 しかし、現象の一刹那を切り取った写真には撮ろうとした眼差しが確かに存在する。

《時間と空間》の混濁、曖昧かつ偶然の混迷、決して好意的には扱われないゴミ屑という代物への観察眼。
 空中の微塵の留まり処、降り積もる静謐も一陣の風で景色を激変せざるを得ない。

 しかし、精神の介入しない世界のなんという穏やかさ、自然の法則への従順。美醜の基準は精神的な観察にすぎない。

 埃は誰にも気づかれぬ間に育っている。秘かな時間の営み、空気の淀みがそれを栽培しているが、持続と成長については確信はない。
 生命をもたないものの変化を栽培と名付けるのはジョークかもしれない。そこに意思の介在はないのだから。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より