埃の栽培…この写真は結果であるが過程である。
 雨風によって自ずと景色は変わり、このまま留まる術もない。
 あるがままであり、人工的な力を加えた形跡はないように見えるが、この先(未来)については予測不可能である。

 埃は砂塵とは異なり人為的な要素が強い。生産消費の過程に排出され舞い上がり舞い落ちた日常の影(垢)である。
 細菌が潜んでいるであろう埃に人間界で言う罪はないが、不潔であるという判断により消去の憂き目は想像に難くない。

 埃は自然現象であるが、基をただせば人間(動物)の活動に因するのではないか。
 とすれば、『埃の栽培』というタイトルは当たっているかもしれない。つまり、意図のない意識下であっても人の生活が育てたものである。

《埃は栽培されたのだ、誇りを栽培しているのだ》という自覚を持つ人には滅多に会えないが、『埃の栽培』は、その眼差しがあることの証明写真である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より