
『ボトルラック』
1910年代の物を100年も経って見ると謎のような製品である。もちろんデュシャンはこの滑稽さに気づいていたからこそ作品として提示したのである。
目的はボトルの中を空にするためであるが、この仰々しさは空しい。なぜならボトルを再利用するためには熱消毒(あるいは化学処理)が必須であり、空にしただけでは細菌の死滅は図れない。
目に見えないものは無いに等しい。17世紀には顕微鏡によりその正体を知られているし、細菌の繁殖はずっと昔から研究対象だったに違いない。
洗浄し空にする・・・このプロセスはガラスそのものの再利用には適しているかもしれないが、ボトルの再使用には少々疑問が残る。50本程度を空にするための器具であれば家庭用とは考えにくい。とすれば、見えない物(微生物/細菌)に因る被害(不衛生)が時間を追って浮上する、そういう曖昧さを孕んだ製品である。
《無用の長物》何か他の役に立つかもしれない美しい形態をした構造物・・・まるで祈りの塔を彷彿とさせる形である。ただボトルラックと命名されている。
ボトルラック、種々雑多なボトルを逆さにして装飾するだろうか。否、明らかにボトルを一滴も残さず空にするためとしか考えられない。
空にすること=空ではないことの慧眼。
土壌、湖沼、上空8000mまでの大気圏、熱水鉱床、水深11000m以上の海底、南極の氷床にまで細菌の分布があるという。
細菌は乾燥に弱いから、このボトルラックに熱風でも吹きかける装置があれば目的は果たせるかもしれないが、そこまでの装置でない所に製品の弱点がある。
精神的に納得のいく装置(ボトルラック)も、物理的には納得できない矛盾。
精神が物理を凌駕できないケースとしての提示である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)