自転車の車輪、二輪のうちの片方を掲げている。二つなければ起動できない物の片方・・・人類の継続、連鎖、発展、歴史…女がいて男がいることの自然の理。

 決定的な欠如である自転車の車輪(一輪)を何かの象徴でも見るかに掲げている光景。
 回せば心地よく回る、むろん欠陥品ではなく、美しくさえある。

 しかし空しい、この物の存在意義は大きく欠けている。

 問題の解決がないわけではない。この物をしかるべく自転車の車輪として接続しさえすれば、機能を発揮しこの物の存在意義は満たされる。
 敢えて、否、そうあるべくしてこの台座(椅子)の上にまるで永遠を示唆するかのように(接続され)置かれている。ミスマッチ、噴飯物の有り得ない強引な設置である。
 この光景には人を寄せ付けない哀愁がある。

 わたくし(デュシャン)だけが寄り添うことの出来る密度ある関係。
『自転車の車輪』は、わたくしそのものだからである。客観的に見る自画像などではなく、わたくし自身を置換したような趣、秘密を内包している。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)