汽車の中、つまり他力、換言すればすでに出来上がっている観念の呪縛の中でという意味である。
 自分はそこから飛び降りたいが走り出している汽車から出ることは不可能である。このまま汽車を信頼して乗っていていいものか・・・。

 若き日のデュシャンの苦悩である。
 過去・現在・未来の切れることのない時間・空間の中の存在である自分(青年)は絵(二次元)の中に表現(答え)を求めているが、〈悲しめる青年〉としての自分を客観視し、光景の中の自分を描いている。

 画の中に籠めようとした具体性、彩色はアースカラーで打ち沈んでいる。光はあるが陰翳の奥行の方が深く、青年と思われる形は肉質を持たず平板の寄せ集め、あるいは何かの部品の接合のようである。つまり、人の要素(条件)を打ち消している。
 連写を模して時間を切り取り、一つの対象に時間と立体(三次元)とを付加しようと試みているが鑑賞者を納得させるには足りない。その自覚が(悲しめる青年)というタイトルになったのかもしれない。
 当たり前のように目の前にある平面の領域、その中での試行錯誤、デュシャンの壁への挑戦。平面を突き抜ける表現、デュシャンの汽車は走り続ける。


 写真は(www.tauschen.com)より