『ある聖人の回想』

 混濁の闇そしてイエローオーカー(黄土色)の下面、自立したカーテンの中に描かれた空と海。あくまで人為的なカーテンの内部である。
 遮蔽されたエリアでの光景にすぎず、人智の成せる偽空間である。

 日本にも天照大御神(天照大神)という伝承がある。世界中どこでも、天地の始まりを問うことから歴史は始まったのではないか。

 はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
 神はまた言われた。「水の間におおぞらがあって、水と水夜を分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、大空の下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝になった。第二日である。(『聖書』創世記第一章より)

 この世の風景は誰が造ったんだろう。わたしたち以前の誰かが造ったに違いない。誰も知らず見たこともないが・・・。《神/聖人がお造りになった》という見解に反旗を翻す根拠や証明は困難である。しかし、祀り上げられた神/聖人はその回想の中を生きているのではないだろうか。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)