背景は朝焼けだか夕焼けだか判らないが、青春≒希望という彩色ではなくどこか不穏である。
 ROSEAUと刻まれた石碑、ROSEAUといえば〈考える葦〉を想起するが、この語彙が通用する時空なのだろうか。この言葉が死語になっているということかもしれない。

 荒地である、植物(有機)が見当たらない。
 ROSEAUの言葉が刻まれた石碑・・・つまり過去である、ずっと昔の遺物の残存。

 郷愁…回顧の墓碑。
 石碑(言葉)を包むかの鳥(鳩)の頭部、傍らの一葉は、葉であり樹形であり、枝葉は凝視すると樹の根である。つまり逆さであり、有り得ない《虚》である。
 鳩がくわえてきたオリブの一葉、しかし、この鳩はそっぽを向いている。(怒ってさえいる)
 左端には馬の鈴(伝承・伝説・主張・声etc)がある。

 大いなる伝承の終焉、何時かずっと先の未来、星の数・砂の数を幾たびも数え直すほどの時間を超えた先にある光景である。

【考えること】による支配、宗教や思考が墓碑となる無窮の果ての時空(時代)では、かつての遠い昔(=現代)、それを『青春の泉』と認識するのではないか。

《あの時代(現代)はまだ若く成熟途上の青春であり、泉のごとくあちこちに主張(宗教)などが湧き出でていた》という今は荒廃している懐古の光景である。


(写真は新国立美術館『マグリッㇳ』展/図録より)