画面中央に《鼻》が鎮座している。
 鼻はなぜ鼻以外のものに見えないのだろう、まるで鼻であり続けるといった風である。鑑賞者にとって(鼻)は意識するしないにかかわらず、(鼻)というイメージを変容することはできない。それは日常的に強力な認識下にあって、律とも言える観念である。

 観念…思い込み。
 背後にある一葉にも見える樹(よく見ると樹の根を模している)は複合的に否定されるべき怪奇な創造物であるが、究極、一本の樹にみえてしまう。
 このトリックは、経験上の認識・観念が対象(景色)を見るときの律になっているからで、それ以外のものに譲歩できない傾向にある。

 ずっと遥か向こうに水平線が見えるが、これは重力下の地球における律(真実としての基準)である。
 空の暗雲は、晴雨どちらをも予想させる不可解な曖昧さや不穏を暗示している。

 『占い』とは、どんなに空想の翼を広げて見ても、現実的な観念から解放されることはなく、臭覚(感覚)呼吸(生命)の域をでることもない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)