わたし達は、自由の入口にいる。しかし、入口であって自由の領域ではない。
 その領域へと突破可能になるための媒体は何だろう。
 物理的な機材(大砲)は強力であり一見効果的に見えるが、天空を撃つには過少にすぎる。いかにもと言った配置に納得しかねないが、失笑を免れない。
 それを権力に置き換えても部分的な暴走があるのみである。

 この張り巡らされた人間の中に潜む観念、経験値の集合・・・。
 青空に見る雲の散在、水地球の部屋。
 並べて教育された律法社会。
 樹を板に変える人智。
 伝承、言い伝え、噂、主張、命令・・・。
 燃え上がる喜怒哀楽の情念。
 生物誕生からの繰り返され伝えられるDNA。
 生命誕生の男女の性愛、肉欲。
 自然との共生。
 故知らぬ虚空の幻想。

 わたしの中の世界、世界の中のわたしに課せられた生きる者としての条件は、かように張り巡らされているので、真の自由や解放はあり得ない。

 否、わたし達は《自由》を得ている。自由の入口は閉じられているのではなく、すでに自由の中に存在しており、あらゆる条件を謳歌している。
 扉は開いている!それを開けようとすること自体が、世界を閉じたものにしているのかもしれない。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)