『終わりなき認識』

 窓外の景色である。
 窓外にある球体は、宙に浮いており、その上に人が遥か彼方を見ているという光景。

 室内には《わたくし》がいる、室外の男も《わたくし》である可能性が高い。つまりわたくしが、わたくしを見ているという図である。
 わたくしを客観的に眺める。彼は存在しているが、きわめて危うい立ち位置であるのに、彼自身は気づくことはないと思われる。浮遊、重力を無視した精神世界から、山また山の人智で築き上げた観念の呪縛で構築された世界を見ている。対峙していると換言した方が適切かもしれない。

 物理的に正否を問う答えを、浮遊する球体に乗った彼(わたくし)はその真偽について問いを繰り返している。決定的でないのは、この浮遊する球体に《絶対》あるいは《永遠》の保証がないからである。

 彼(わたくし)と、わたくしの考えの差異あるいは亀裂はどこにあるだろう。
 彼(わたくし)は、イメージにすぎないのだろうか。空想は事実ではないとされている。
 存在と非存在の狭間をつなぐもの、媒体は思考(精神世界)にのみ存在する仮象なのだろうか。

 わたくしは常に彼(わたくし)を見続けているものである。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)