『チョコレート粉砕機』

 カタログにある実物と比較してみると、実にそれらしく、また実に機能皆無な代物であることが判明する。イメージの類似、実体の欠如・・・茶番である。
 あたかもそれらしい三つのローラーは決して回転しない、肝心の力点がないからである。支える台の貧弱(猫足)は笑止、実用には至らない作図を堂々と『チョコレート粉砕機』と名付けた意図はなんだろう。

 非生産、非機能的でありながら、『チョコレート粉砕機』と命名する。
 鑑賞者は、確かに《それらしいイメージ図》を見て軽く納得する。しかし、どこかに不協和音(疑念)を抱え込んでしまうのではないか。
 Aだと言っているのだからAだろう。
 しかし、あれはAに似ているが、Aではない。
 Aだと肯定すべきか、否定すべきか・・・。

 要するに、AはAでなく(A≠A)、イメージ(A≒A)に過ぎないが、Aを想起させるものではある。しかし、そのことに意味があるかと問えば、無為徒労は明らかである。
 デュシャンは、無為徒労のエネルギーを遠回りに具象化し、ある意味《人生》の陰翳を揶揄したのだと思う。

 

(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)