
『9つの雄の鋳型』
9つという具体的な数字、確かに9つの異形が提示されている。人間の足(ズボン)のような形態もあるが、そうだとしたら、手・首・頭部がない。ほかの8つに至っては少なくとも人間を連想させないものであり、かといって何かの生物をも連想できない。
雄という生物の半分を占めるものの鋳型を9つ集合させた図などというものに意味はないし、第一、生きたものの鋳型をどうして取ることが出来るのか。
タイトル自体、すでに意味を失っている。百歩譲ってパターンと考え直してみても逆に9つでは不足に過ぎるし、9つの持つ意味を想起できない。
作品(表象されたもの)を観て、パカッと開けたら明らかに雄だと決定されるような形態が出るだろうか。雄の判定はごく一部(暗部)に潜んでいることが多い。
タイトル(言葉)と作品(表象/イメージ)の関係性は、不在である。
タイトルに意味を見出すことは難しい。
作品(表象)に、想起できるイメージを探すことも難しい。
以上の条件を意図して発表した提示である。
あらゆるものは個々に存在し、関連性(グループ)を否定するものであるが、独断あるいは暴力的な指示による集合体は、名づけられ肯定を促す危機を孕んでいる。
作品は、試薬でもある。
(写真は『DUCHAMP』TASCUENより)