
『階段を下りる裸体』
なぜ階段を下りるという移動だったのか…そこには停止ではなく《時間》が生じる。動くという時空である。
A地点からB地点へ移動するという変哲もない日常の動作の記録。人と共に空気(空間)が変容し、時間が経過する。物体が移動する、即ちエネルギーが消費される、換言すればエネルギーが生じるということでもある。無為なエネルギーは時空の中に消滅していく。
裸体は階段を下りるという動作によってエネルギーを消費させるが、生命はエネルギーの発散と引き換えに確かな存在証明を得るということである。
人は不可視な時空を生きているが、共存の事実に気づかない。『階段を下りる裸体』は、時空を侵略しつつ、エネルギーを奪われている。共存というより等価の関係かもしれない。
裸体…人としての付属物を取り払った生命体は、異質なものに変換され、肉体の要素がない。精神(情念)を剥奪された裸体は、物理的状況のみを観測するための質的変換なのだろうか。
『階段を下りる裸体』は、時空とのにぎやかな交感である。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)