『宝石』

 取っ手のついた木箱の上に中年の男の頭部と精悍な鳥の頭部がまるで物のように乗っている。それより下部がこの木箱の中に納まっているとは考えにくいが、とりあえず木箱の長さは不明である。(身体の長さ大きさに合致するか否かは分からず、また鳥との比較においても不明である)
 つまり木箱の中は空なのか、人や鳥の下部が収まっているのかは分からないが、生きた人や鳥の頭部だけが木箱の上に唐突に置かれているのは奇妙であり、有り得ない状況である。
 背景は淡いブルーのベタであり、時空は特定されていない。

 木箱の取っ手を持ち上げたら、当然この二体は転がり落ちると思うし、この箱のなかに連続した下部があるのであれば、この木箱の蓋は空けることは出来ない。

『宝石』というものは、男(人、とりわけ女)にとっては価値があるかもしれないが、鳥にとっては無用の長物、猫に小判である。ここ(木箱)に宝石はあるか?
 何か遠くを見つめる男の眼差し、そして鳥の眼差し、双方とも宝石を希求しているとは考えにくい。
 ある程度の仕事を成しえた男の風貌と鳥の対峙に見つめ合うという交流は認められず、ただ二体がそこに付かず離れず在るという光景である。

 ちなみに木箱(木目)は《死》を象徴するツールとして使われているが、この死の箱に『宝石』があるということかもしれない。
 しかし、蓋を開けるということは、生物(人や鳥)の死を意味する。どんなに望んでも手に入れることの叶わない物、その逸品は《死》の扉のなかにある。

 鳥は『大家族』の鳩(生命連鎖のルーツの象徴)であり、内なる木箱には触れることさえできない『宝石』がある。
 それは他ならぬ《亡母の魂/記憶のぬくもり》ではないか。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)