『永遠の明証』

 裸婦である、しかし何故か、身体は五つに分断されてフレームに納まり、立てる婦人のごとくに縦列の状態である。
 永遠の明証というタイトル、女性の肉体と言うだけならば、このようなプロセスは無用であるが、ここに明証があるという。

 あたかも鑑賞者の底意を覗き込むような眼差し、胸、陰部、膝から上、つま先から上の各部位は、なぜ切断されねばならなかったのだろう。しかし切断されても、つなげて見るという眼の操作・心理は働く。そして、やがて《手》がない、欠けているという事実に気づく。
 手はある意味《能動的》であるが、ほかの部位にはそれが希薄かも知れない。

 女は誘うことは出来ても、自ら能動的な行為に及ぶことは無いという明証なのだろうか。
 女性の性の本質を衝いているかもしれない。
 (マグリットは『巨人の時代』で暗にそれを否定し、つまりは同等の立場であると言っている)


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)