『花嫁』

 タイトルなしにこの絵を見て(花嫁)を想起する人は皆無である。
 タイトルを見て花嫁である要因を探そうとするが、欠片も見出せない。

 この絵に描かれた物の正体を限定することは困難である、なぜなら部分であって全体ではなく、しかも既存の考えでは連結状態に難があり、作動を由としない構造なのである。どこに設置されたものか、目的も定かではない。ところどころ光っているが光源も不明であり、立体としてもこの構造を把握することが出来ない。
 つまりこの存在は確定不能であり状況の認定が出来ないように意図して描かれている。そしてそのことを気づくように導く作意がある。

 無目的な産物…これを『花嫁』と称している。たしかに(花嫁)という人はいない。仮初の一時的な愛称である。嫁(妻)になる人に《花という冠》をつける。花というイメージの幻は手にとって確認できるものではない。

 そういう不確定の写実である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)